130年ぶりに甦った「高倉人形浄瑠璃座」。その復活の足どり

2024年12月26日

江戸時代から明治時代にかけ、現在の郡山市日和田町高倉地区に、人形浄瑠璃を上演する一座が存在しました。人形浄瑠璃は江戸時代初期の淡路島や徳島を発祥とし、大阪を中心としたいわゆる「上方」から各地へ人気が広がった古典芸能の一つですが、東北にその文化が根付いた記録はほとんどありません。そのため、高倉の人形浄瑠璃は「東北唯一」とも「北限の一座」とも言われてきました。

そんな高倉人形浄瑠璃座が今、地域のつながりを守りたいと願う人たちの手により約130年ぶりに復活。地道な活動が続けられています。

※「地域と文化の魅力ラボ」では、2025年2月2日(日)に高倉人形浄瑠璃の操演体験会を開催します。詳細は「魅力ラボ」TOPページをご確認ください。
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地域の人々を人形で再びつなげたい

江戸時代に宿場町として多くの旅人が往来した高倉地区。そこに人形浄瑠璃の一座ができたのは、江戸時代中期のことです。数少ない地域の娯楽として人気を博し、会津や仙台、水戸などへ巡業に行くこともあったといいます。しかし、時代が明治へ移ると一座は徐々に衰退。明治26(1893)年にその歴史の幕を閉じました。

もちろん、当時の一座の姿を知る人は、今や誰もいません。しかし、一座が使っていた人形や道具の数々は、かつてそこに確かに芸能が根付いていたことの証として大切に保存されてきました。昭和30(1955)年にはそれらが福島県の重要有形文化財に指定され、日和田公民館で保管・展示されるようになりました。

日和田公民館に勤め、自らも日和田町に住んでいた井上まゆみさんは、2017年、自身が館長になったことを機にこの「高倉人形」に着目します。

「昔から日和田にいる人たちはみなさん、ここに人形があることを知っています。いつかは実際に人形が動くところを見てみたいと考える人も多く、ただここに飾っておくだけではもったいないと以前から思っていました。地域のコミュニティが崩れ、人と人との関わりが薄くなってしまったこの時代にこそ、人々を再びつなげる一助として高倉人形を使えないかと考えました」


現在高倉人形浄瑠璃座の事務局長を務める井上まゆみさん

札幌の人形浄瑠璃座に復活の協力を直談判

復活に際して大きな力となったのは、北海道札幌市で1995年に設立された「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」の存在です。代表の矢吹英孝さんは福島県出身。東日本大震災以降、ボランティアでたびたび福島を訪れ、公演やワークショップを通して復興を後押ししようと活動していました。それを知った井上さんは、福島を訪れた矢吹さん達に協力を直談判します。

「どうやったら協力してくれるだろう」と不安を感じながら想いを伝える井上さん。しかし矢吹さん達は、井上さんのその不安を一掃するように「あの高倉人形を復活させるのですか!」と喜び、井上さんの願いを快諾しました。実は、その日からさかのぼること数ヵ月前、あしり座のみなさんは、東北における人形浄瑠璃文化の貴重な遺産である高倉人形に興味を持ち、日和田公民館を訪ねていたのです。

そんな偶然が後押しとなり、2017年、日和田町内の有志が集まって、「復活! 高倉人形プロジェクト実行委員会」が発足。県の復興関連助成金などを活用して資金を調達し、札幌からあしり座のメンバーを、また東京からはあしり座の指導を手掛ける西川古柳さんを招き、定期的な稽古をスタートしました。


「あしり座」の指導の様子

コロナ禍にはリモートで稽古を継続

人形浄瑠璃で使われる「三人遣い」と呼ばれる人形は、首と右手を操る人(主遣い)、左手を操る人(左遣い)、両足を操る人(足遣い)の3人で一体の人形を操作します。3人が息を合わせて操作することで初めて人形に命が宿る人形浄瑠璃は、地域のつながりを活動の原点に据えていた井上さんにとって、まさに絶好の存在でした。

この取り組みを長くつないでいくためには、地域の子どもたちのプロジェクト参加が欠かせません。井上さんは、子どもたちの興味を引きつけるのに最も効果的なのは、人形のリアルな動きに触れさせることだと考えます。しかし、立ち上げたばかりのプロジェクトには、子どもたちが直接触れられる人形がまだありませんでした。もちろん、文化財に指定されている古い人形を持ち出すわけにもいきません。

そこで井上さんは、あしり座と小中学校に掛け合い、あしり座の学校出張公演を企画します。いきいきとした人形の動きは多くの子ども達の興味を引き、およそ20人がプロジェクトに参加することになりました。彼らは地元で、また時には札幌まで足を運んで、さらにコロナ禍にはリモートで、日々稽古に励みました。

「私の信条は、できないことを言い訳にしないこと。お金、コロナ、運営の手間など、いろいろな壁がありましたが、言い出しっぺの私が弱音を吐くわけにはいかないですし、あしり座のみなさんや先生も全力で取り組んでくださるので、私たちも全力で受け止めなければいけないと思って続けてきました」

そう語る井上さんら実行委員のみなさんの地道な活動は、やがて福島県内はもちろん、あしり座の拠点である北海道のメディアでも取り上げられるようになり、注目を集める存在となっていきます。2023年には団体の名称を「復活! 高倉人形プロジェクト実行委員会」から「高倉人形浄瑠璃座」へと変更。伝統を真に受け継ぐ一座として自他共に認める存在となりました。

アットホームであるからこそ続けてこられた

高倉人形浄瑠璃座は毎年3月、1年間の稽古の成果を披露する場として、郡山市内のホールで発表会を開催しています。現在のメンバーは、大人約30名、子ども約10名。それぞれに役割を果たし、市民向けの親しみやすい要素も盛り込みながら、人形浄瑠璃の魅力を私たちに伝えてくれています。

「大人も子どもも同じ目標を持ち、真剣に稽古をしてきました。でも、ただ稽古を重ねただけでは続けてこられなかったかもしれません。私たち大人は本当の孫のように子どもたちに世話を焼くことが楽しいですし、子どもたちにとっては、家とも学校とも部活とも違う居場所として居心地が良いのかもしれません。そんなアットホームな雰囲気だったからこそ、ここまで活動できたのかもしれないですね」

人形浄瑠璃や伝統芸能と聞くと敷居が高いイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。しかし、高倉人形浄瑠璃座には、地域発祥の一座ならではの温かさや親しみやすさがあります。一座のみなさんは今日も、ともに声をかけ、笑い合いながら、次の発表会へ向けて稽古を重ねています。

※「地域と文化の魅力ラボ」では、2025年2月2日(日)に高倉人形浄瑠璃の操演体験会を開催します。詳細は「魅力ラボ」TOPページをご確認ください。
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■高倉人形浄瑠璃座
場所:福島県郡山市日和田町字小堰23-4(日和田公民館)

文/髙橋晃浩